「その方が娘がいうこときくかもしれないね、二度とここへは帰れなくなるよ!」

 ここではこっちが本命です。勢いでの「うん!」だったらバカですが、彼は家を捨てるためにちゃんと身辺整理を始めます。もちろん別の家に住んでいた可能性もありますが、この家はおそらく亡き家族との思い出があったでしょう、愛着がなければ町に住むはずですからね。それを断ち切る心中はどうか、また、町の人たちの繋がりはどうか。もしかして父親や町の人たちにも何かわだかまりがあるから即決できたのかもしれません。不名誉を背負い込んだ父親やそれをネタにする連中から離れられるならそれもいいかな、みたいなね。鳩たちをオリから解き放つシーンは、パズー自身がラピュタの呪縛から解き放たれるようなシーンに見えるのです。まぁ、ペット飼ってる人がその心配をするのは当然のことらしいですけど。
はと
鳩を逃がして身支度をする
 もし海賊と組んで軍の基地を襲撃なんかして、失敗すればまず処刑されるでしょう。うまくいっても、指名手配でもされれば社会で生きていけません。その上での決意は、使命を見つけたというだけではなく一種の諦めのようなものを感じました。「諦め」には「明らめる」という意味もありますのでね、なので家やラピュタの呪縛から逃れ、自分の人生をどこか遠くから見るような感じ。それは実際には上の一般論とリンクしてゴチャゴチャした解釈ですが、本人の感情は複雑でしょうからそれで良い気がするのです。

「そうだ。シータ、いいことを教えてあげよう。困ったときのおまじない。」

 ここでシータのことにも触れておきます。彼女が呪文を唱えるとロボットが動き出して基地で大暴れするシーンですが、あれはシータの内なる怒りの代弁であってほしいと思ってるんです。というのも、あの子は良い子過ぎるんですよね。ラピュタの怖さを刷り込まれてるせいか、飛行石を守るためのリスク行動(冒頭の落下など)や人を守るための自己犠牲(レーザー発射口を抑えるなど)は狂気的ですらあります。これらは最後のバルス(自殺)に繋がる性質で、その霊性ゆえに破滅してほしくないなと思うわけです。たまには人に文句くらい言えばいいのに、でもレーザーは勘弁してくれよな。

「へっ!急に男んなったね。」

 海賊との生活やラピュタ到着は飛ばします、大体は裏のないシーンなはず。多分。
 上のセリフはパズーに大砲を渡すドーラ。ここは劇中でパズーが初めて武器を持つシーンです、主人公らしく人を守るために武器を取る。それに対してムスカは自分の欲のためにラピュタを求め、その力を見てテンションが上がってしまいます。見た目は大人、心は子供です。精神分析で言えばラピュタは母っぽいですよね、ムスカは母のファルスとなって祖先の望みを叶えようとする、女のシータはそれを恐れ反発するわけです。どっちも血族だしね。

「目がぁぁぁ、目がぁぁぁぁぁ〜〜〜」

 さて、もう最後のバルスのシーンに入ります。この呪文を切り出したのはパズーですが、彼はいつから破滅の呪文を使うつもりだったのでしょうか(破滅の呪文のことは見張り艇で話題になってます)。ハッキリと決意したのは、ムスカの暴走を目の当たりにしてからでしょうが、大枠はラピュタとロボット達を見たときに考えていたのではないでしょうか。というのも、ムスカとのやりとりでシータは「かわいそうなロボット」と言っています、おそらくパズーも似たような印象を持ったでしょう。バルスを唱える時の二人の表情は穏やかだし諦めがあります、最後の手段でやけっぱちというのではない。なんとなく上の出立のシーンと被るんですよね。パズーはムスカやロボット、そしてラピュタ自体にもかつての自分と同じ“ラピュタの呪縛”をみたのではないでしょうか。その中にいる限り歴史は円環で、また「人がゴミのようだ!」が続いてしまう。それを終わらせる決断をし、シータもそれを悟って同意するわけです。
バルス
ぼさつ
慈悲と諦めの表情
 呪文を唱える二人の表情、その澄んだ諦めの表情はどこか菩薩のように見えてこないでしょうか。私にはまったく見えません。
 ここで流れる主題歌の影響もありますが、上記のようなことを考えてるとシーンを観てて泣けてきます。これは事実上の自殺で、彼らはラピュタと世界を守るための犠牲になるわけです。例えば、テロリストの人質になった時、手元に爆弾があっても私はあんな穏やかな表情でそれを使う自信がありません。また、この呪文でムスカは去勢され「目が!目がぁぁ!」になります、ここは何も考えなくても観てて泣けてきます。こいつなんだったんだ。

 天涯孤独であったパズーとシータの、世界への思いと互いの結びつきを考えると改めて思うわけです、パズーって幸せだったのかなぁと。
 もちろん結論を出すには若すぎるんですけど、この作品はパズーが幸せになるきっかけを描いたものだと解釈しています。なぜなら、劇中では彼がシータを助ける話のようになってますが、実際に救われたのはパズーだと思うからです。この救いがなければ彼はいつまでもラピュタを夢見て、どこかの炭鉱で死んでいたかもしれません。ここでいう夢というのは自分で決めたものではなく、父親やそれを嘲笑した人たちから背負わされたものでしょう。世間ではこれは夢ではなくコンプレックスとかトラウマって呼ばれるものですよね。こんなものに縛られた状態では彼は人生の決断も下せず、自分の価値観も持てないわけです。彼にとって世界ってなんだっただろう、あのスラッグ渓谷とラピュタしかなかった可能性もあるわけです。

 それと、劇中でも何度かその出会いへの気持ちを語るパズーですが、シータにとっても貴重な体験だったでしょう。なんせ似た境涯でシンパシーがあるし、飛行石コンプレックスも受け入れてくれた友達です。彼女にとって人間の友達は初めてじゃないかな、「お互い大変だよな、がんばろうな」と言い合えるこの関係は美しい。でも、ローマの休日ファンの私は「結局、二人が再び会うことはなかった」ってオチが好みですけどね。
 『天空の城ラピュタ』は気軽に観れる冒険活劇ですが、こうして色々読んでみるのも楽しい経験でした、年を取るのも良いもんです。

 以上、ラピュタについてでした。
inserted by FC2 system